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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)5893号 判決

原告

株式会社田丸屋洋品店

被告

青木政一

主文

被告は原告に対し、金六十九万七千二百九十円と、これに対する昭和三十年九月二十七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その一を原告の負担とする。

この判決中原告勝訴の部分は、原告において、金三十万円の担保を供することにより、仮りに執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告が国電中野駅前で洋品雑貨の販売を営んでいる株式会社であること、被告が洋品雑貨の卸商で昭和二十八年十月五日当時原告に対し売掛代金債権をもつていたこと、被告の長男青木政夫及び原告の債権者らか昭和二十八年十月五日夜から翌六日朝にかけて原告の店舖から原告所有の別紙(省略)商品目録通り(但し、価格の点を除く)の商品及び別紙備品目録通り(但し、七つの硝子板六枚の内一枚を除き、八の硝子板の厚さ、九の硝子板の丈、幅の点を除き、なお全部につき価格の点を除く)の物件を持去つたことは、当事者間に争いがない。

別紙備品目録七の硝子板二枚の内争いある一枚をも青木政夫らか持去つたことについては、これを認めることができる証拠がない。

ところで、甲第一号証(真正にできたこと争いなし)と証人岩崎七郎、山下仲次郎、渡辺せい子、石井嘉吉、黒崎喜忠、青本政夫の各証言、原告代表者渡辺金光本人の供述とを合せ、乙第一号証と対照して考えると、次のとおり認めることができる。

昭和二十八年九月末頃は、原告の店は、その代表取締役渡辺金光が詐欺にあつてアパート建設に失敗したこと、原告に対する貸金債権者朝鮮人崔某が原告の店の商品六十万円ほどのものを強引に持つて行つたことなどが原因して落ち目になり、店頭の商品は目立つて減つていた。これを見た原告の問屋関係債権者数十名は、債権の回収方法につき集つて相談した結果、代表者を選んで同年十月五日原告の店舖に赴かせ債権の取立につき原告の代表取締役渡辺金光と交渉させることにした。十月五日昼前頃から、債権者の代表者は三々五々原告の店舖に集つた。被告方からは被告の息子(店員)青木実が出向き、他におもだつたものとして黒崎商店の黒崎喜忠も加わり、合計十二、三名の問屋関係債権者が集つた。

債権者らは商品を預りたいと原告の代表者金光に申出た。これに対し、金光は、数十万円の負債があつてあまり強いこともいえなかつたが、商売をやりながら債務を払いたいから商売を続けさせてもらいたいと希望を述べた。債権者の中にはこれを納得する者もあり、そのようにまとまりそうにもみえたので、金光は、とにかく神奈川県高座郡大和町の親戚へ行つて金策の相談をしなくてはと考え、午後三時頃、「すぐ帰つてくるから」と、行先きもいわずに店を出た。

そのあと、債権者らは、商品を債権者が預ることについて結局金光の納得を得ることができるのであろうと軽く考え、商品を持去る方針のもとに、原告の店員岩崎七郎だけがいるところで、これを集めにかかつた。ことがこのように進展したので、青木実は電話で兄青木政夫を呼び、政夫は夜原告の店舖へ来た。政夫が来てからは政夫と黒崎が中心になつてことを運んだ。そして商品を預るについてはとにかく原告側の印をもらわなければならないということになつて金光の妻せい子に連絡したが、せい子はことわつた。この連絡でことの次第を知つたせい子は、おどろいて、午後十一時過頃本件店舖へかけつけたが、このときはすでに商品はまとめられていた。せい子は、事態が重大なので、深更であつたか高円寺に住む金光の弟山下仲次郎を電話で呼んだ。山下がかけつたのは六日午前一時頃であつた。政夫、黒崎らは、せい子及び山下に対し、しつこく、物品を預けることを承諾する旨の書面(乙第一号証)に押印を求めた。両名は、金光が不在だからともいつてことわつたが、債権者らがあまりしつこく要求し、「一時預るがいずれのちに返す。」「執行吏がきて差押えたらどうする。」などというので、拒みきれず、書面の内容も精査しないまま山下が右書面中渡辺金光の名下に押印した。

渡辺せい子及び山下は間もなく午前一時過ぎに帰宅した。これと前後して、政夫の主唱で、黒崎その他の債権者らは、商品だけでは不十分だからウインドウ硝子、商品ケースその他の備品をも預ることにしようときめ、これを取りはずし、商品とともに深夜道路に出しておき、原告の店の二階で夜を明かし、六日の朝右物品を運び去つた。原告の店には一物も残らなかつた。

渡辺金光は神奈川県の親戚で金策の相談をし、一泊して六日午前十時頃原告店舖へ帰つてことの次第を知り、被告らに対し前記持去つた物品の返還を求めたが、返してもらえなかつた。そのため原告は閉店せざるを得なくなつた。

以上のとおり認めることができる。

証人黒崎喜忠、青木政夫の証言中には、右認定に反し、商品を持去ることは原告の代表者金光が承諾し、備品を持去ることは渡辺せい子らがこころよく承諾したという部分があるが、これは信用することができない。

乙第一号証も、さきに認定したとおりの事情で青木政夫らが山下に押印させた書類であるから、これをもつて原告が作つた真正な文書と認めることはできず、右の点に関する証拠とすることはできない。

ほかに、右認定をくつかえし、被告主張のとおり、原告代表者金光が前記商品を債権者らに預けることを承諾し、原告代表者金光の妻せい子が前記備品類を債権者らに預けることを承諾したということを認めさせるような証拠はない。

前記備品類を預けることを渡辺せい子が承諾したとみることは無理であると当裁判所は考えること、右に説明したとおりであるか、仮りにせい子がこれを承諾したとしても、せい子に原告を代理してそのようなことをする権限があつたことを認めさせるような証拠はない。被告は表見代理のことをも云々するか、仮りにせい子に何らかの事項につき原告を代理する権限があつたとしても、さきに明らかにしたような事情のもとで、直ちに前記備品を預けることについてもせい子に原告を代理する権限があると青木政夫らが信じたとすれば、信ずる方が無理であり、信じたことにつき過失があつたといわなければならない。表見代理の成立に必要な正当の理由はなかつたとするほかない。

結局、青木政夫その他債権者らは共同して故意に原告の前示商品、備品等に対する所有権を侵害し、原告の営業上の信用を害したものといわなければならない。

よつて原告の蒙つた損害について考える。

甲第一号証によると、前記持去られた商品のその当時の価格は合計金三十五万四千四百三十円であつたことが認められる。証人黒崎喜忠の証言中右認定に反する部分は採用することができない。

甲第二号証(証人金子末四郎の証言によつて真正にできたと認められる)と証人金子末四郎、原告代表者渡辺金光本人の各供述とを合せ考えると、青木政夫らがウインドウ硝子、商品ケース等前記備品を持去つたあとをもと通りに復し整備するには、その当時金二十四万二千八百六十万円を要したことが認められる。

また原告は青木政夫らの行為により閉店せざるを得なくなり、営業上かなり信用を失つたものといわなければならない。原告代表者渡辺金光本人の供述によつて明らかな、原告の代表者金光が当時原告の店舖附近の商店で組織されていた桃園町会の副会長をしていたこと、しかし原告の営業が前記のとおり当時落ち目になつていたこと等を合せ考えて、右信用毀損による慰藉料は金十万円をもつて相当と考える。

原告は、なお、「原告は青木政夫らの前示不法行為によつて洋品雑貨商の継続を困難にされて、得べかりし利益一年につき八十万円ずつを失つて損害を蒙つた。」という。しかし、さきに認定したとおり、昭和二十八年十月頃は原告の商売は落ち目であつたのであり、証人石井嘉吉の証言によつても当時原告の経営は苦しかつたことか認められる。これらの事実に照すと、原告の収益の点に関する証人渡辺せい子、原告代表者渡辺金光本人の各供述は直ちに採用することができず、ほかに原告がどれだけの利益をあげていたかをはつきりさせることができるような証拠はない。

結局青木政夫らの行為によつて原告の蒙つた損害で、立証できた額は、慰藉料を含めて金六十九万七千二百九十万円ということになる。

この損害を被告が賠償すべきかについて考える。

証人青木政夫の証言によると、青木政夫は父である被告の洋品卸商のうち小売商に対する卸売りの部門を担当していたことが認められるから、法律的にいえば政夫はやはり被告の被用者であるといわなければならない。そして政夫らがした前示行為は被告の営業における債権の回収のために行われたものであるから、政夫の前示不法行為は被告の事業の執行につき行われたということになる。したがつて、被告は、政夫の使用者として、前記損害賠償の責に任じなければならない(共同不法行為であるから全額につき責任あり)。

被告は原告に対し前記六十九万七千二百九十円と、これに対する訴状訂正申立書送達の翌日たる昭和三十年九月二十七日(記録上明らかである)から完済に至るまで年五分の割合による損害金を支払う義務を負うものというべく、この範囲において原告の請求は正当であるが、これをこえる原告の請求は失当である。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広)

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